Nicotto Town


かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 180 だいじぶ、できる

ポジティブさなら、私はなかなか高レベルなんじゃ?と自己評価してるんですね。そんな私から派生した生き物が、ペンで何か書いてる。見てみると、「だいじぶ できる」って書いてあった。左右反転文字もあったりするけど、かろうじて判読できた「だいじぶ、できる」子供に、「なんて書いたの?」って聞いてみる。すると「う~ん?なんだったかな」と、子供は自分で書いたのに記憶が無かった様子。そこらへんは私に似てる。「だいじょうぶ、できる、って書いたのかな」と聞いてみると、「たぶんそんな感じのことだよ」って言ってた。もう何だろう。人間だものみつを、みたいな。一言のパワーワードがこちらの思考全部を奪っちゃう破壊力。だいじぶ、できる。なんだか不思議に、勇気づけられる気がしました。だいじぶできる。人間だもの。みたいな。なぜ、なぜそんな言葉をいきなり紙にしたためたくなったのだろう?子供は?「なんで?」ときいても「??」という反応。だけど、なぜかまるで追い込まれた受験生かお前はという謎の「だいじぶ、できる」というポジティブワードを紙に書いて満足していた。不思議ですね。人間社会にある詩人という存在に行き当たる時、不思議な人生のアクセントを体感するように、子供がなぜか書き出した言葉に、理由もなく、意味もないけど不思議に人の心を揺さぶる何かがありました。だいじぶ、できる。大丈夫…できる…。という、受験生みたいな事を、ちっとも受験と関係ない子供が紙に書くとき、人間という生き物の不思議さを考えずにはいられませんでした。芸術作品という程立派なものじゃないんですが、理由も意味もなく子供が作る創造物、というものに、不思議に惹きつけられ、じっと見入ってしまった私は、馬鹿なのか。馬鹿なんだかな。もっと意味のある新聞でも読んでないとダメな年齢なのに、子供が書いたポジティブな「だいじぶ、できる」をじっと見てしまった。人生の大切な時間がそうやって過ぎてしまった。人生の大半を無意味な事に費やして生きてる気がする。子供は、他にも紙にただ一言、「できる」と書いた作品も作った。なんだか切羽詰まったテスト前夜の学生みたいです。おかしくて仕方なかった。
マっキーで 芸術作品 つくってる
書道家とかが立派な筆致で「大丈夫、できる」とか書いたらカッコイイのに、子供はマッキーでぐにゃぐにゃ文字の左右反転文字である。でもそれが今の子供の全身全霊であると思えば、何だかやっぱり興味が尽きないのは、私が親だからなのかな。人間が脳から生み出す非自然的な作品があると、色んな視点から考えられる事がありすぎて、人間って不思議と興味は尽きない。
だいじぶ できる
なんだか切羽詰まった受験生も、きっと昔はこんなレベルだったんだね。今頑張ってる人は本当にきっと大丈夫と背中を押したいですね。はじめの一歩のセコンドのおじいちゃんみたいな気持ちでわかうどを応援したい。




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