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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 422 厳しい校則は私の為だった。

授業参観を見学した(笑)この世界にお邪魔している私が、見る意味あるんだろうか?という気がした。でも世の中、私みたいな考えの人もいれば、いろんな考えの人がいるんだ、と思った驚きの日だった。


最近の小学生は髪色自由だった。

 授業参観にいったら、クラスに金髪とかカラフルな髪色の子供がいた。驚いた。昔の私の通っていた小学校ではありえなかった。現代って、髪色自由なんですね~。怒られてたんですよね。昔は。

髪色が自由で、ビクビクしているのは私。

 現代の自由な校風に、文明の成熟を肌に感じて未来人に憧れてる私はとても素敵だなと思った。もっと自由になって、学校の先生の働き方もフレキシブルになったら、もっと学校って楽しくなるんじゃないのかとか。楽しい事を求めたらダメなのかもしれないけれど、自分で自分の首をしめる場所でも無いんじゃないかと思うんで、融通というのはあってもいいと私は、髪色自由な子供を見て人類の進化を感じて少しうれしかった。その反面、「うわぁ~こんなにファッション自由になったら、貧乏人の私はオシャレな外見の人に、きっといつか穴のあいた服とか比較されて貧乏ファッションをバカにされ、下に見られる日がくるぞ…」と、ビクビクドキドキ、気が気じゃなかった。いや、すでに別にいつかじゃなくて、今でもそうなんだと思うけど(笑)

貧乏人は校則が厳しいと嬉しい

 私の通ってた小学校は今思えばそこまで自由じゃなかった気がする。でも、校則が厳しくても問題なかった。なぜなら、オシャレにお金かけない人だったからだ(笑)
 校則でオシャレしたらダメ、というあの不条理な校則は、私みたいなオシャレにお金かけられない貧乏人、田舎者の為にあったと、今でも信じてる。厳しい校則があったために、お金持ちの子供と一緒でも、肩身の狭いおもいをせずに済んだのだと思う。校則でガチガチという状況は、隙間風ふくあばら家の貧乏な家の子みたいな人には、自分たちを守る校則に感じていたと思う。厳しい校則がなくて、もっともっと自由だったら、きっと小さい幼いころから、お金持ちと貧乏について卑屈なメンタリティを育てて、今ですらなのに、もっともっと歪んでしまっていたかもしれない。厳しい校則について、私はいつも、「厳しいほうがいい」といつもそう思っていた。厳しい先生がいると、厳しい先生は弱いものの味方で、世界で一番慈悲と情けと人情と道徳がある大人だと思っていた。真面目だからとかじゃなくて、ほんとにただ、貧乏人は素直にそう思っていた。貧乏な人にとって、学校が自由な場所になるのは、ひじょうにみじめな場所になるのと同じである。できるだけ支給品、配給品で暮らせる環境で、無難にプレッピーにトラディショナルに…というのが、貧乏人のおしゃれである。自由さというのは、怖くて野蛮でわがままで、自分がしたくてしたくてでもできないものなで、ならば校則が厳しい横並びにしてもらったほうが、勝ち負けにならない平等の世界でいられる。貧乏人が勝てる勝負の仕方、それが、校則厳しい!なのである。

厳しい校則というのは、私みたいな貧乏的な人の為にあったと、今でもそう感じているし、そういう平等という考え方もさせてくれる特殊な場所というのが学校だったのかなという気がする。

でも、現代では、小学校でも自由らしい。凄い。時代の進歩を感じる。成熟しているという気がする。よく考えたら、私の住んでるとこがド田舎だったし、やっぱり進化したら自由になるのかな?とかちょっと都会を感じて感動した。最近は進んでるとこでは授業にアイパッド使うとかいうしなぁ~。時代はどんどん進化していくのだなと感じました。書道とか、どうなるんですかね。書き順という文化も、すたれていくのかとか、一握の寂しさがあるんですけど、未来の子供たちの便利な世界の到来を喜びたい気持ちもある。日本人が西洋化していく大正時代、和服から洋服にどんどん以降していった時の寂しさと便利の追求も、こういう気持ちだったのかな。今では全員洋服が普通だから、将来小学校も全員子供金髪とかあり得るかもしれません。


貧乏な家の子のための、厳しい校則は存在し続ける

 現在、我が子が通ってる学校はそもそも公立の学校ですし、なんだかんだでそこまで自由な校風にはならないんだろうな~と考えている。髪色はビックリしたけど、女の子がメイクしてたりはさすがにまだだった。でも、それぞれの学校にあるらしい、謎な校則、〇〇のブランドは持ってきてはいけません、等の、ああいう謎な厳しさというのは、私にとってありがたい。ほんとありがとうございますという感じです。でもなんだっていいじゃない、ランドセルだってカラフルになったんだぞ、という主張、それも正しいと思う。まったく間違ってないと思う。ほんとに、厳しい校則というのは理不尽だと思う。でもその理不尽さがある事で、みじめにならずにすんでいる、貧乏な家の子もいると思うんだよな。昔の私みたいに。服が二着しかなくて、月水金、火木土の服が決まってるみたいな感じの子とか。そういう人は珍しいかもしれないけれど、そういう子にはむしろ制服があってくれたほうが嬉しいし、厳しい髪型指定があってくれたほうが嬉しいんだよな。なんだか、そういう事に嬉しいと思ってたら、人間、最低だよな…。最低の証明だよな…とかなんだかあきれ笑いしたい気分。
 理不尽な自己表現を押さえつけるような校則というのが、なくてもいいくらい常識とセンスがあれば、髪色だってカバンだってなんだっていいと思うんですよね。ほんとに。ただただ私の為だけにあったような、厳しい校則。そんな校則が、必要なくてもいいような、そんな学校に子供は今通ってるんだな~というのが嬉しい。もっと自由でいいと、私には思えて仕方ない。もしそれがいいと、子供本人も納得してるなら。
 あと、他人の自由な姿を見て、自分がどうしたいかという思想が固まるということもあるでしょうし、刺激になって成長しあえるとしたら、自由って素晴らしいと思いますけどね。昔から、日本人は「人のふりみてわがふりなおせ」と考えていたらしいし。人のしている事にとっても好奇心、関心があるとても珍しい国民性があるのに、日本人は自分たちがけっこう特殊なメンタルを持ってるという事を、あまり知らない。

四月らしく、会う人に自己紹介を求められたので、仏門にいる人みたいに
「私の好きな食べ物はゆでたてのソーセージと栗ごはんです」って若い人妻に言ってみたら、ニコニコされました。拈華微笑ともとれなくもないような、そんなキレイなほほえみに私もほほえみを交わしました。今日は柄にもなく、仕事したな~と思いました。




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