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ウイルス戦争 神は死んだ


映画 スティーブ・ジョブズ

映画 スティーブ・ジョブズ(2013年版)
インドに憧れるジョブズは経済的理由等によりリード大学を中退しヒッピー(野生生活への回帰を提唱する人々の総称)のような生活をしていた。

映画ではブロック崩しゲームを安い金で改造させたジョブズの事をウォズは何とも思っていない、ように描かれる。
しかし実際には、金をピンハネしていたジョブズと搾取されたウォズニアックとの間はしばらく確執が生じた。

http://japan.cnet.com/news/service/35059166/
APPLEⅠの製造を請け負ったジョブズ達はガレージを改造し、手作りでコンピュータ基盤を量産する。
APPLEⅠ:発売日1976年4月11日:約200台を生産(うち約170台を販売)
ガレージ創業については2014年12月にウォズニアックが「誇張されたものである」と否定している。
実際には完成品の最終チェックと箱詰め、在庫置き場、車への積み込みにガレージを使っただけ。
しかしである、ガレージキットが少数生産される組み立て式の模型を指すように、ガレージ創業という言葉には独自のロマン、精神が感じられる。
「あのアップル社でさえ、創業当時はガレージだったんだ」という言葉は心地よい伝説としてパソコンマニアに語り継がれてきた。
だから、事実はどうあれアップル社はガレージ創業でなければならないのである。

WIKIによると、ジョブズはマイク・マークラに起業の話を持ちかける。
映画では、出資しようとマイク・マークラがガレージ創業のアップルに来て
「マンソン・ファミリー(疑似生活共同体)かと思った」と言う。
ガレージの前に複数の男達がブラブラしている様は、ヒッピーの共同生活と誤解するのも無理はない。

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20160206/E1454688618845.html?_p=2
APPLEⅡがヒットしたおかげで会社は軌道に乗る。

映画 バトル オブ シリコンバレーによると
マッキントッシュ開発チームのジョブズはAPPLEⅡのチームに喧嘩を吹っかけアップル社内で紛争を仕掛けた。
このためAPPLEⅡチームとマッキントッシュチームは社内で大喧嘩となり険悪な雰囲気に。
APPLEⅢが発売されるも、ホビー色が強かったAPPLEⅡを無視して業務用コンピュータ向けに開発されたAPPLEⅢはさっぱり売れなかった。

https://the01.jp/p000168/
ウォズがアップル社を退社した理由はAPPLEⅡ後継機の開発が中止させられたから。
この時期、アップル社はAPPLEⅡを捨てマッキントッシュへと乗り換えようとしていた。

開発が難航していたジョブズのMacintoshは2495ドル(59万円)で発売。
1984年、初代マッキントッシュのMacintosh 128Kが過剰在庫となり赤字に転落。
ジョブズが関わっていたLisaというコンピュータもまったく売れなかった。
アップル社は従業員の1/5を解雇。
この責任をとらされジョブズは辞表を提出。
別会社でNeXTstationという、やたらと高価格なパソコンかワークステーションか分からない先進的なコンピュータを開発するも、高すぎてサッパリ売れなかった。
一方で映画会社ピクサーのCEOに就任。
映画トイストーリーを作るために多額の資金を投資したが予想以上に金がかかった模様。
幸い映画がヒットしたので、儲けは出たらしい。

ジョブズを追い出したアップル社は「トラブルメーカーが居なくなったから、これで儲かるぞ」とばかりに株主を意識した経営方針に転換。
Mac OSを他社にライセンスし、Mac互換機のダサいパソコンが市場に溢れた。
このためアップル社のパソコンが余計に売れなくなり業績が悪化。

2000年にジョブズはアップルのCEOに就任。
2001年10月 iPod
2007年 1月 iPhone
2010年 1月 iPad
ヒット作を次々発表した。

http://ameblo.jp/cp21/entry-11040495969.html
アップル株価推移を見る限りジョブズがiPod以降の大ヒットを飛ばすまで、アップル社の株価は低かった。
マイクロソフトは1996年には株価が急上昇しているけど、アップル社は2005年から株価が上がりだしその後、爆発的に急上昇した。

http://www.kdcweb.jp/media/data/07/rekishi.html
1984年、Macintosh用のGUI-OS。Macintoshは個人でも購入できる最初のGUIパソコン。
1985年、Microsoft Windows 1.0発売
1990年、Windows3.0:普及に成功した最初のWindows

普及時点でMAC OSとWindowsは6年もの開きがあった。
映画:バトル オブ シリコンバレーや映画:スティーブ・ジョブズでは「Microsoft Windows 1.0がMACとソックリだ」とジョブズが激怒する。
しかしGUI-OSは1973年にゼロックスのパロアルト研究所が試作したAlto(アルト)が原型。
映画:バトル オブ シリコンバレーではジョブズ一味がAltoを見学して、その操作方法や仕組みを教えて貰い、そっくり真似てMacintosh用のGUI-OSを作り上げる。
(ゼロックスはアップルの公開前株式の購入と引き換えに、アップルの技術者がパロアルト研究所を訪れることを了承)
そして、MAC試作機をゲイツが借り受け操作方法をWindowsに取り込んだ。
「IBMを打倒するために、協力しよう」というゲイツの申し出に騙されたジョブズはゲイツを裏切り者呼ばわりする。
実際はどうだったのだろう。
ゼロックスが許可しないとパロアルト研究所で試作機Altoは見せて貰えないのだから、ジョブズがMAC試作機から操作方法を盗んだ、という話はもっともな気がする。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1471948414
Windowsは、X Window System や OS/2 に似せた感じが強い

OS/2と言えばIBMとマイクロソフトが共同で開発していた、業務用パソコン系OS。
http://mirrors.pdp-11.ru/toastytech.com/guis/os24.html
共同開発だったため、OSの仕様変更にIBMの了承が必要だったのだけど、とにかく官僚的で判断が遅いためOSの開発は難航した。
そのうちゲイツはIBMとの決別を意識しWINDOWSを開発した。
IBMが文句を言うと「WINDOWSはホビーパソコン向けだから住み分けが出来る」と適当な事を言っていたけども、Microsoft Windows NTは業務用パソコン向けだったから、IBMとの決別は決定的になった。
結局、ゲイツはWINDOWSで大半のDOS/Vパソコンを征服し、IBMのシェアを奪った。

映画:バトル オブ シリコンバレーでゲイツはWINDOWS開発中に
「DOS/Vで動くMACが欲しい」と言っていた。
映画だから、ロコツにパクってますよという台詞があったのだろう。

アバター
2016/03/05 05:46
https://youtu.be/6IBjzSizoJs?t=259
髙橋敏也のパーツ・パラダイス
1995年、ジョブズの居ないアップル社は他社にOSを供給したので互換機が市場を荒らしていた。
その互換機を手に入れるため髙橋敏也は英語で注文した。
これからはMAC互換機の時代だと確信したのだけど、アップルは方針を変更したため髙橋敏也はライターとして儲けるにいたらなかった。

何回かRPGは作ろうとしたのだけどBASICのメモリが足りないしで結局、途中で放り出した。
一から全部作るのは無謀だったなぁ。
アバター
2016/03/05 01:40
1995年に某美術館で展覧会の予定があって
作品の中に画像を入れる予定で
1993年か1994年頃にアップルジャパンの広報にアポイントを取って
Macを半年ぐらい貸してください。ってお願いしにいったんです。
担当者レベルでは了解が取れたのですが
上司がダメだったらしく、Macは借りられなくなって
どうしようか困っていたら
カシオ計算機で発売間近のデジタルカメラ
実機が2台しかなくて一週間だけ借りることができ
人の顔のアップ250人分ぐらい撮りまくりました。
そのデジタルカメラは、その後アメリカの展示会に持って行ったそうです。
それは某公共放送のプロジェクトXで登場したカメラでした。
よく貸してくれたものだと感謝感激。

で、Macを買えたのは1996〜7年頃で
APPLEⅡは欲しかったのですが
当時はかなり高額でしたので
シャープのMZ80Bを購入。
手打ちでベーシックやマシン語のプログラムを入力して遊びました〜。



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