Nicotto Town


ウイルス戦争 神は死んだ


虎に翼 主人公は結婚することになった

https://www.iza.ne.jp/article/20240516-C6QBLQQK3BCLRKL47ACPHVU4HM/2/

「社会的地位を得るための結婚相手、僕じゃダメでしょうか!?」

「つまりそれは、優三さんも社会的地位が欲しいと?」

「はい! 独り身でいる風当たりの強さは男女共に同じですから」

「この手があったか」。

寅子は優三の申し出を喜んで受け入れた。

長年、書生として家に住んでいた佐田優三と結婚すれば良いじゃないか、という最もありがちな相手を見つける寅子。

しかし日本は戦争に向けて突っ走っていた。

召集令状で優三は戦地に。

そして彼は病気になり二度と帰ってくることはなかった。

戦争末期、日本政府は米国に敗戦の打診をしていたが米国は無条件降伏以外受け入れないと突っぱねていた。

アメリカ人はよく「核兵器を使ったから日本は降伏した。核兵器のおかげで日本も無駄な戦死者を出さずに済んだ」と核兵器終戦論?を自慢気に話す。

違うのだ。日本は降伏しようとしていたのだ。

その降伏が無条件降伏かどうか、という問題。

当時、米国は天皇を戦犯として処刑しようとよだれを垂らしていた。

この噂を聞いた皇族は続々と自分の位を捨てて民間人になったという。

そして敗戦。進駐軍は日本に上陸した途端、婦女子を強姦するなど不法の限りをした。

日本人相手なら何をしても良いという風潮が米国にあったのだろう。

天皇はマッカーサーに命乞いする手紙を書いたともいう。

天皇は自分が持つ財宝の全てを米軍に差し出したという。

その財宝は大型輸送機3機に載せられ米国に飛んだそうだ。

その後、米国に渡り大統領に会い「朕を処刑しても良いが日本人の罪は許してやってくれ」と頼んだという。

日本に原爆を投下したハリー・S・トルーマン大統領は「天皇を処刑した場合、日本国民が決起して進駐軍と戦争になるだろう」という報告書を読んでいたので、天皇の覚悟を聞いて震え上がったという。

天皇と歩く時、緊張のためトルーマン大統領は右手と右足、左手と左足を同時に振って歩いていたそうだ。

ともかく天皇を戦犯として処刑することはできなくなった。

「日本は米国の植民地なのだ」という人がいるが、未だに米国が定めた憲法9条をありがたがっているのだから植民地には違いない。

憲法9条を書いた紙を裏返せば「MADE IN USA.」と書いてあるに違いない。

ところが当の米国は「いつまで憲法9条を守っているのだ。早く憲法を修正しろ」と注文をつけたという。

憲法が安安と修正できないことは言うまでもない。

米国は日本人の気質を未だに理解できていないようだ。




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