Nicotto Town


ウイルス戦争 神は死んだ


シャーロックホームズ「ワトスン医師のその後」2

「だったら何で、探偵を止めたんだ」
「今にして思えば、モリアーティ教授を死なせたのが最大の間違いだったよ。
あの大悪党が死んでからロンドン中の犯罪は一気にレベルが下がった。
探偵の僕が言うのもなんだがね、近年の事件はロンドン警視庁のレストレードや
グレグスン程度に丁度よい陳腐な物しか発生していないんだ」
 ホームズの言うように新聞からはミステリアスと評して良い事件が全く無くなっていた。
それでも殺人事件や泥棒の類いは無くならないからレストレード、グレグスンの両警部が
事件を解決したという記事は紙面を賑わせていた。
「魚がいなければ漁師は廃業するしかないんだ。
だから僕はサセックスに隠居したんだ」
「それでも君はまだ働き盛りだろう。
何も探偵をやらなくても、昔のように顧問探偵業を再開すればいいじゃないか。
この職業は君が作り出したんだし」
「分かって無いな、ワトスン」
 ホームズは苛々としていた。
よっぽど探偵を止めたのがストレスとなっているのだろう。
「今でも何処で調べたのか、僕のところにはレストレードやロンドン中の探偵が、
事件の迷宮から救い出してくれと相談に来ているんだ。
しかしどの事件もありきたりの泥棒、窃盗、殺人事件ときている。
もううんざりだ。
僕は自分の探偵術を書物として残そうと著作を始めたんだ。それがどうだ。
今となっては僕の知識、観察力、推理力を生かす事件は何処にも無くなってしまったんだ。
これじゃ、探偵術を残しても無意味だろう。
それを活用するだけの事件がないんだから」
 かつての相棒は瓶を両手で押さえながら、興奮していた。
私は彼を落ち着かせようと説得を続けた。
「いや、いずれモリアーティ教授並みの犯罪者が現れるよ。
その時、君の探偵術の書は十分活用されるはずだ」
「そんな犯罪王が生まれるのはいつかね。
少なくとも僕が生きている内じゃないな。
だからワトスン、頼むから僕のコカインを奪わないでくれ」
 ホームズは急に振り返り走り出した。
当然私は追ったが、やはり体力ではホームズにかなわない。
あっと言う間に彼の姿はロンドンの町並みに消えてしまった。
フランケンシュタインの変装道具だけが道に残っていた。
「変装道具を放っていくなんて彼らしく無いな」
 私はホームズの衣装を拾った。
今まで幾度と無く彼の変装術には騙され続けた。
それはホームズの変装があまりに見事だからである。
大抵の変装はみすぼらしいものが大半だった。
そして今回は怪物の変装である。
 夕日のロンドンには枯葉が似合った。
街路樹から舞い落ちるそれらは、風に吹かれて歩道の水たまりで泥と混じり、汚らしいゴミになる。
ホームズの変装は人々の目から逃げ出すためのものであることが多い。
だから彼は老人や乞食、コカイン中毒者に化けるのだ。
 私はフランケンシュタインの衣装を手に、あてなく夕日に向かって歩いた。
そこへドラキュラ伯爵が歩いてきた。
伯爵は歩道を歩いて私とすれ違った。
彼は黒いマントの下に何か隠し持っているようだった。
「ホームズ!待ちたまえ。そのコカインは置いていくんだ」
 私の声にドラキュラは肩を震わせ、立ち止まった。
そして振り返りつつ、彼は変装マスクを外した。
そこには紛れもないかつての名探偵ホームズが立っていた。
「ワトスン、いつも君は僕の推理の根拠を聞きたがったね。
今度は僕が聞く番だよ。
どうしてこの完璧な変装が見破られたのかな」
 軽く自尊心をくすぐられて私は説明し出した。
「ドラキュラ伯爵は昼間に外出できたかな。
夕方とは言え、夕日はまだ沈んでないだろう。
それにコカインの瓶は結構大きいからね。
マントで隠すのは無理があるよ」
 ホームズは軽く頷いた。
自分の変装術には彼もかなりの自信を持っている。
それを元相棒の私が見破ったので感心していたのだろうか。
「いや。驚いたよ、ワトスン。
君の観察力がここまで発達したとわね。
推理の論理性も申し分ない。
だけど僕からこのコカインを奪うことはできないからね」
 ホームズとの交渉は堂々巡りの感があった。
そこへ辻馬車が急に止まった。窓から顔を出したのは警視庁のレストレード警部だった。
「ホームズさん、ワトスンさんまでごいっしょとは助かりました。
実は厄介な事件が起きましてね。
まあ、とにかく馬車に乗ってください」
 警部はいきなり私たち二人を強引に馬車に乗せた。
もっともホームズは自主的に乗ったようだが。
「すみませんね、いきなり。今も現場に行く途中でしてね時間がないんですよ」
 ホームズは嬉しそうに手を擦り合わせた。
「それで警部、奇怪な事件が起こったんだろう」
 レストレードはかつての相棒の言葉に驚いた。
「え ホームズさん、どうして奇怪だと分かったんですか」
 ホームズは渋い顔をした。
彼にとっては至極当たり前の会話で一々他人が不思議がるので話は停滞してしまうのだ。
それでも説明してやらねばホームズが何か特別な情報源を持っているのではと
一般人たちは信じてしまうだろう。
「いいかね、警部。まず君が辻馬車で現場に行くとなれば事件が発生して、急いでいるにほかならない。
そんな段階から私たちを同行させたいとなれば、通報内容が通常の事件ではなく
密室殺人だとか、犯人の意図が読めない事件だろうと想像はつくよ」
 レストレード警部は大いに感心した。
ホームズはそんな彼に苛立って、事件の内容を話させた。
「ああ、そうでしたね。
通報は近所の人からなんですが、密室殺人事件でして。
しかも、殺されたのが信じられない人物なんですよ」
「その人物とは」
 ホームズは乗り出して聞いたが、レストレードは答えなかった。
「それは実際に現場で確認したほうがいいですよ。
実は私も半信半疑でしてね、この通報は」
 ホームズはそれきりレストレード警部と話さなかった。
しかしこの元名探偵の目ははっきりと生き返っていたのだ。
さっきまで虚ろに生きていた彼とは全く違った雰囲気であった。
コカインの瓶はもう無くなっていた。
 馬車は程なく現場についた。殺人のあった家は古い物で、ドアは鍵がかかっていた。
私たちは体当たりでドアをぶち破ろうとしたが、それは開かない。
やむなく警部が鍵を銃で壊し、やっとそれで中に入れた。
 被害者は床に倒れ、死んでいた。




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