若草物語 起源
- カテゴリ:日記
- 2020/08/09 01:25:26
昔々、山の斜面の上下に建つ炭住街の真ん中あたりで
3人続けて女の子が生まれた家があり
会社では血気盛んだった父親は
(組合関係で上司には煙たがれ、逆に部下からは絶大な信頼を得ていた)
未だ彼自身の父との約束を果たせないでいたのだった
約束とは書いたが今ではその詳細は知る由もない
だが、その重要性は後に聞く家人や近隣に住む方々の話から
肌で感じとっているような気がする
数年後、私の母は男児を出産した
私である
聞いた話だが
すぐさま私の父親の父親(爺ちゃん)はその斜面の一番目立つ場所に
鯉のぼりの支柱(記憶では水色)を立て付け
次の日には五連の鯉が八月(と言いたいところだが多分九月)の晴れた空を泳いだ
畏れ多い物言いではあるがこんな話を聞いたことがある
「ああ、我楽多さん家に皇太子が御産まれになった」
これは冗談ではありません
そしておそらくは様々な祝福が我楽多家に寄せられたに違いありません
先日記述した銀の匙もそのひとつでしょう
そのおかげで今もこんな記述をしていられる環境にいるのかもしれません
今となっては果たせなかった継承
男尊女卑
家父長制度
フェミニズム
男女雇用機会均等法
そういった概念がまだ表立っていない
様々な犠牲の上に現状の仕組みが築かれていき
あやうい認識域に砂の城が構築されていった
今の、、、
あ
このタイトルで
今後私の家族について書けていけたらいいなと思います
何故ならそこが原点なのですから
続編楽しみにしております