Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


今回は爺ちゃんね




改まって四姉弟のことについて話そうか
8歳上の長女
6歳上の次女
4歳上の三女

炭鉱街に皇太子(私)がお生まれになったときには 
歌志内の高台に爺ちゃんにより鯉のぼりが新設され
風車とともに6連の鯉が風に舞った

札幌から汚い町にお嫁に来たお嬢様は大仕事をなさった
(時には食中毒事件を起こし たまに地方紙に載った)
大嫌いな鶏に突かれ逃げ惑いながら爺ちゃんに助けを請い
キツイ坂道を毎晩の部下のための晩餐に供する食材を背負って登った
背負っている重いものの中には当然私もいた

3人の娘の乳に供する為に山羊を(爺ちゃんが)飼っていた
鶏卵や肉のため 20匹は鶏を飼っていた



(姉の話はまた今度にするね 今回は母と爺ちゃんについて語ります)



父の母は病弱だった たいてい床に就いていたが それでも烈婦だった
爺ちゃんは(私に似て あ逆か)優しかった
一言も文句を言わず 明晰な妻を支えた

たった一人で新興ド田舎に嫁いだ嫁と姑のアレコレは
幸い幼かった私にはあずかり知らぬものであった

姉3人はその辺を見ているに違いない
でもすべて過ぎ去った今では誰も語る人はいない


山羊は動かない 紐なり首輪なりつけていたんだろが
草を食み 乳を供給してくれて さあ そのあとどうなったんだろうか
爺ちゃんは畑仕事を終え 鶏小屋を片づけ 冬の薪に備え 窓を外側からビニールで覆い
石炭小屋を整え 夕方には夕食用の味噌汁の具材である笹竹を採りに行く

そんなとこに山羊で難儀している息子の嫁に出逢った
優しい爺ちゃん 不遜な物言いだが私と共通点があり過ぎると(勝手に)思っている

息子の為に 大都会札幌から こんなおきれいな釣り目のお嫁さんが来てくれた
細っこい チッこい(身長146cm) でも泣かない ばあさんとやりあっている
料理もお華も旨い(たまに食中、、、) 毎晩の息子の部下の饗宴にがんばっている


そして何より煎兵衛を産んでくれた
体の不調はなにもない 少し血圧が高いだけだ

爺ちゃんは母から笹竹と引き換えに手綱を預かり 静かに牧舎へと山羊を連れていった
きっとこう思っていたに真違いない 私は幸せだと





夜遅く 仕事を終えていいかげんできあがった荒くれ男どもが我が家にやってくる
父の声が一番でかい 唄いながら近づいてくる

座敷のテーブルにクロスが敷かれ お湯を沸かし 熱燗に備える
こんなこと書くと親不幸ものと言われそうだが 母はけして料理が得意ではない

誂えのサラミソーセージ・塩辛 漬物 クラッカー
頂き物のそれなりのそれなりのもの

部下の晩餐がたけなわの頃 爺ちゃんは一番離れた三帖間で静かに眠りにつく
明日も朝が早い もうすぐ朝一番でストーブに火をいれなければならないかもしれない
鶏卵の材料となるホタテの貝殻はまだ買い置きがあったかな?
煎兵衛はもう寝たのかな?
たまには一緒に寝るのもいいだろう
あ そうしたら三女が寂しがるか

ははっ
俺はなんて幸せもんなんだろう


夜が明けて そんないつもの日の朝
爺ちゃんは起きてこなかった

すぐさま隣り(!)の炭鉱病院に急送された
しばらくは意識不明のまま闘っていたが
その日のうちに急性くも膜下出血でこの世を去った

前の日までフルに働き おきれなかった日にあっけなくいった


当時 煎兵衛 幼稚園児
あちこちから見知った親戚・知人が我が家に集合し 嬉しくて
従弟を見つけ 追いかけごっこをした

いくらバカであるとはいえ まあそんなもんだろうか

さすがに翌日は蝶ネクタイをされて
遺骨はさすがに重たくて
なんか持たされて寒い11月葬列の2、3番目を歩いていた



ゼーゼーで苦しむ僕を背中でしっかり支え 坂道を病院へと下っていく
力強く暖かい爺ちゃんの背中を抱え込んだのは2歳か3歳か


喪失感という感覚は知らなかった 喪失という言葉を知らなかったので
心の穴が開いたという感覚は知らなかった 心の穴という言葉を知らなかったので



でも ほんの少しだけ
なんかモヤモヤした気分だったけど
”オトナ”が近づいているという感覚はあった

倒れてその日のうちにみまかうって カッコよすぎる
できないだろうな でも できたらいいな





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