Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


続 音楽素養 メモ①


ついさっき長姉から年末の御挨拶の電話を戴いた
ひとしきり互いの近況などを語り合った後に
一昨日書いた<聞けるうちにきいておこう>といった質問を
まとめて訊いたので 忘れないうちに書いていこうと思う



長姉が日本舞踊を習っていたのは 彼女が小2から小6の間だった
神社ではなく お寺で習ったという 当時そんなビジネスがあったんだ
祖母(父の母)はいわゆる教育ママだった(戦前の話です)
後年ボケてしまったが 若い頃は5人息子と一人の娘に恵まれた
時代が時代だったので 3人の息子たちは結核や流行り病で夭折しました
その中で生き残った
長男が私の父である
末弟が私の叔父である(彼の次男には我楽多家の墓を継いでもらうことになっている
同じ苗字で別に問題はなかろうと考えたが 彼にとっては大迷惑だろう)
長女の詳細は今では誰も知らないが 後に芦別市長の妻となったと聞いている
ちなみに私が入る予定の墓には 上記(従弟以外)の全員の遺骨が納まっている

次姉と三姉のピアノの連弾は 最初は歌志内市ではなく
近隣の(おそらく赤平か砂川市であろう)音楽教師の雑然としたピアノ室で始まった
新しい情報であるメモメモ(こんな情報は直に訊かなければ得られない)
長姉は実際にその場にいたのだろう
当時私はまだこの世に存在していなかった可能性がある
唯一の私の記憶では何かの発表会で二人が並んで連弾していた
その曲がなんだとか 姉二人が弾いているという誇りとかワクワク感はなかった
微かな記憶の一断片に過ぎない


次に 何故家に足踏みオルガンがあったのか?
長姉は即答した「お父さんが子供達のために買ったんだよ」
訊き返した「誰かが要求したの?」
「知らない」


親に初めて個人用の楽器(このときはヴィオリン)を要求したのは次女だった

その次に親に要求したのは(このときはギター)私だった




音楽素養については以上であります





そうそう
教育ママの影響を受けてか 我が家には 大辞典全集とか絵画全集とか
少年少女世界文学全集とか 父は積極的に(妻の抵抗を受けながらも)
少ない収入の中から 子供達に知識を与えてくれました
これは覚えています

さっきの電話で初めて聞いた言葉
「そうそう 煎兵衛も動物図鑑とか植物図鑑とか ボロボロになるまで読んでたね」



初耳 まもなく年が明けますが おそらく今年最後の初耳になるでしょう
『え? 覚えてない ナニソレ?』
その表紙さえ覚えてないよ
えっ それって、、、、、




後に生物学科に進んだ煎兵衛
最初の記憶はえらく汚れた熊のぬいぐるみ

オリンピックのピックちゃん
彼(彼女?)無しでは寝られなかった
しまいには頭部分の片隅から綿が吹いてきた

障子のレールにビー玉を並べ ぶつけ合い 慣性の法則を自分ながらに会得した
手鏡を持って天井を見て 歩き廻り 方向を変えてその変化のダイナミックスさに震えた
電気掃除機の空気排出口にピンポン玉を浮かべて
斜め45度にしてもピンポン玉は空中に浮かび続けている
その時の家族の反応 驚きなのか 若き変人と思われたのか
小3頃だったね 懐かしい


さ この辺にしときましょ
そのうちメモ② メモ③を書くことができれば
そんなふうに うざい文章が続きます

 
新年を迎えるにあたって
一言申すなら
NO WAR だけです 





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