Nicotto Town


かをる笑顔で元気!は今日も行く・・・。


永六輔さんが語った事

今朝、NHKの時論公論を見ました。「永六輔さん "生命"のメッセージ」より

『昭和20年3月、卒業式のために東京に戻っていた1つ年上の6年生たちが東京大空襲に遭ったのです。
永さんは、去年、このときの記憶を振り返り、涙ながらにこう語りました。
 「東京に向かって子どもをいっぱい乗せた列車がどんどん走った。そして東京で死んだ子どもがいっぱいいた」』

『【平和を願う強い思い】
去年12月、平和を願う永さんの強い思いを、改めて知る機会がありました。
作家でタレントの野坂昭如さんの葬儀に、病と闘う永さんが車いすで参列し、遺影に向かって、震える声でこう語ったのです。
「僕が大好きな言葉は、野坂さんの言った言葉で、二度と飢えた子どもの顔は見たくない。
もう一回言います。二度と飢えた子どもの顔は見たくない」
涙ながらにあえて二度繰り返した戦争反対のメッセージは、子どもたちの幸せのために、自分がどう生きていくのか、その覚悟を親友の言葉を使って誓っていたように思います。』

あっ、理屈じゃないんだ。戦争で苦しんだ人の言葉。重い言葉。

死にたくない。死なせたくない。苦しみたくない。苦しませたくない。

戦争はダメだ!

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2016/07/18 05:35
老婆心ながら、栄養失調で妹を亡くした経験から贖罪のつもりで『火垂るの墓』を書いた事は、有名ですね。

『ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。』

~野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」より~



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